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拘りの人の拘りを聞く「拘りの鉄」

第30回「手袋」 
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「Slug On Leather」
http://www.slugonleather.com/
山城 征平氏
(2008年7月掲載)



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「拘り」?

はじめまして、「Slug On Leather」の山城と申します。
「拘り」⋯⋯一般的な意味では「些細なことに囚われてるさま」ですね。まあ、フェチを真剣に受け取れていない大勢の人にとっては、些細なことかもしれません。些か大袈裟かもしれませんが、私にとっての手袋はいやフェチは、今までの作品制作や人生に影を落としているのは確かなことです。一般的にフェチは「性的嗜好」と片付けられ実生活とは切り離されがちです。しかしその事実を私も不承不承受け入れて生活しているのも事実です。例えば給料もらいだったり学生さんだったり、多人数の組織に所属していると、その場では冗談で「Ο×フェチ」など言えたとしても、真剣にカミングアウトなどはさすがに難しいですよね。それが性の話が真剣に戯れるべき話題と考えられていない悲しい浮き世の現状といったところでしょうか。それでも、私には自分の性的指向を「これはファンタジー」「これは実生活」と切り離すことが、不可能というより、そう考えることが逆に不思議でなりません。企画主催者であり原稿依頼者のDAIさんには大変失礼な話しなのですが、「拘り」と遠く離れしまってる私が書いてもいいのかしら?と。それでもこの場を提供して頂いたわけですから、誠意をもって駄文を吐き散らしてみたいと思います。


「手袋フェチ」って?

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手袋フェチってマイナーな存在ですよね。だいぶ商売で利用する方も出てきましたが、その内容はガッカリというか理解して無いというか⋯⋯「手袋好き」はいても「フェチ」が入ってくるとそれは筋金入りになり、やれフロイトだ、ラカンだとかとたんに性やそれに絡む精神分析の範疇が入ってきてややこしくもなり、「手袋好き」とはやはり違います。私も手袋フェチのひとりだと自ら宣言しております。ただ誤解の無いように書いておきます。私のサイトを見て、単純に「手袋フェチ=マゾ」という決めつけはしないほうがよろしいかと思います。一口に「手袋フェチ」といっても、指向する素材も革、サテン、ラバー、P.V.C(俗にエナメルと呼んでるものです)、形も多様で、ミトン、オペラ、炊事用etc、形にも用途別にも箇々に指向があり、関わりかたもさまざまで、手袋で行為する・される、ただただひたすらに手袋を収集する、手袋をはめることのみ執着する(これにはナルシスも入ってくのかな?)、過激な関わりかたには手袋を破壊(破く、燃やす)するなどあり、関わりかたは多岐に渡っています。そのあたり御興味のある方はネットで調べてみて下さい。まだ狭い世界とはいえ各人各様の性的指向を持ってる様が散見出来るかと思います。
では、「おまえは?」と、こういった場を頂いたわけですから、私が手袋へ抱く感情を述べるべきですね。私が手袋をはめた手を見つめてる時、それは私の中ではもはや別の存在になってしまい、特に革手袋に包まれた手は指先から手首(オペラタイプなら二の腕)まで一つの鈍い光沢のラインを描き、そこには何も余計なノイズがない一つの世界が有るような無いような、それでいてその世界に入るのを拒否されてるみたいで、なんとも複雑な気分になります。そしてその美しさとは対称的に手のひらを向けられると、何か得体のしれない生物、例えば黒い革手袋ならばそれが、その光沢と黒さがあいまって巨大な蜘蛛の様に蠢いて、私はその不気味さに魅了されすすんで飛び込んでいく蠅の気分⋯⋯手袋の指一つ一つが動く度に、美しくも無気味な何かが、はめている人の人格とは関係なく、その手袋の作るイマージュが私を常に途方に暮れさせる。そんなアンビバレンツな存在が手袋です。私を途方にくれさせることがもう一つあります。それは手袋で触れられる、でも手には触れられない、同じように手袋で触れていても、手で触れることと等価ではない、皮膚と皮膚の接点はどこにも存在しない。そして一方で手袋はガントレットの様な存在としてはめた人を守ってくれる(その保証はどこにもないのに)。触れられる人は一方的に想像するしかなく、手に込められた真の表情は隠され続け、何も受け取れない。モノローグとしか言えないやり取り、受け取る側は本当は手袋の中身は空虚でしかないのかしら?と疑いながらそれを受け入れる。私は時々無邪気な想像をする時があります。「もし手袋をはずしたとたん手袋は袋としての役割をはたせなくなり、中身(肉体)がこぼれ落ちてしまうのでは?」グロテスクな想像ですが。手袋の包み、保っているものはいったい⋯⋯いささか説明しにくいのですが想像遊びに魅了され、どう考えればよいか分からない中ぶらりんの状態に誘う存在。「手袋は人格をもつか?」へんな問いですが。


なんでfemdom(女王様)よ?

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手袋がガントレットならフェティシュウエアーは鎧といったところでしょうか。キャットスーツなどは全身を手袋化して、肉体を破たんから防いでくれる。フェティストは父親を否認すために女性にあるはずのない男根を⋯⋯ときて、母親の処女性をと、精神分析されそうですが、私の場合は素朴な体験からきています。それは絵を、特に人物を描くと常に、描かれるもの(肉体)はぶれてしまい、その空間と同化し何がなんだか分からなくなってしまう、特に女性は戸惑いも加味されて、顔から順に溶け落ち消滅してしまう。そういった体験からきています。デッサン力(嫌な言い方ですが便宜上使います)が足りないのは明白なのですが、どうもそれだけでは無いようで⋯⋯今の所フェティシュウエアーと手袋を描く限り、その破たんを最小限に押し止めてくれているようで、破たんさせまいと必死にその穴を塞ぐ行為のみが絵全体を一つの繋がりにしてくれて、固まりとして定着していく様な感じがします。
それでも女性がfemdom(女王様)である必然性は?と問われると、今の所曖昧な説明しかできません。ただ、小説「毛皮を着たヴィーナス(ザッヘル=マゾッホ著)」にワンダとドイツ人画家との会話の一説に、

「あなたの絵に必要な例の表情とおっしゃるけど」と彼女は微笑みながら答えた、「あなたはそれに一瞬しか耐えれなくてよ」
河出書房新社
ザッヘル=マゾッホ著 種村 季弘訳


という箇所があります。これはfemdom(女王様)を描くことに指針を与えてくれたと思ってます。放たれる鞭の一撃も、フェティシュウエアーと手袋で武装した女性からのビンタも、手袋の包容も、触れる切な消え去ってしまう幻想、そしてその瞬間しか見い出すことができない完全な世界。それはあたかも線や色の彷徨のすえ一瞬だけ表れ定着される像。それはどんな女性にもある、一瞬だけ垣間見せてくれる美しくも無気味な何か、それは私を途方に暮れさせ、その一瞬から過去すべてから切り離してくれるものに似ているような気がするのです。そしてそれを体験したい、定着させたいと願い、femdom(女王様)を描くことが今の所、それを表現するには最良ではと思ってます。


フェティシュの行方

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今の所サイトに公開されてるものは、限り無くプレイ絵であり安物のポルノに近い感がありますが、今後どうなるかは、私自身にも不明です。今ではペニバンと手袋の関係も出てきて(多分それは男性器と手袋でしょうが)、増々精神分析の手のひらで踊ってるようで⋯⋯その自分の馬鹿馬鹿しい姿も表現として定着させてみたくもありといったところで、どこに向かうのかも定かでありません。以前ある方がメールに「女王様の顔(頭部)も革で被ってみたら?」と書いてきて、受け取った当初は絵の女性の顔があまりにも下手だから遠回しにそう書いたのかな?などと落ち込みましたが、今では自信を持ってその提案を拒否できます。それは多少マシな絵が描けるようになったからではなく、手袋を描くことと整合性が取れないからです。フェティシュウエアーと手袋から見える、一突きで崩壊する肉体、そんな対立要素を持った女性=人間を描きたい、いや絵を描きたいからこそ顔は必要なのです。そしてそれが対立というより、AとBで有るように等価で存在し、等価であるものの間の「と」が絵全体を破壊することを願ってもいるのです。
私は手袋から、他人からみればたかが手袋でしょうが、限り無いイメージを受け取っています。そしてそのイメージを少しでも拡大したり、動かしてみたり、捲ってみたりして生み出されたものを、定着させようと試みた、その残骸の展示場がSlug On Leatherです。
もしこの駄文を最後まで読んで頂き、暇つぶし、興味本意、どんな意図でもかまいません、残骸展示場を見て頂けるようなら幸いです。そして、私のようなものに、この場を与えて下さいましたDAI様お礼を述べるとともに、この駄文を終わらせたいと思います。最後までおつき合いありがとうございました。

2008.7.1 山城 征平

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