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拘りの人の拘りを聞く「拘りの鉄」

第21回 「異種姦」 時刀 純氏
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(2008年1月掲載)


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【まずはご挨拶をば】
はじめまして、時刀 純と申します。
ボクは邪界ニドヘグというサイトを開いてまして、
X-rated search様に日頃お世話になっている者の一人です。
このたびはボクの妄想を披瀝する場をいただきまして、
嬉々として馳せ参じたしだいであります。
邪界とは読んで字のごとく邪な世界。
それではヘンタイ剥き出しの文章を御覧下さいませませ~。

【異種姦の起源】
幼少のみぎり、今程整備されていない
雑然とした川沿いに佇むアパートで過ごしたいわけなき時間。
テレビの中では毎週ウルトラ怪獣が、はたまたライダーの怪人が出現をし、
夜にもなれば洋画劇場でSFモンスターが縦横無尽に暴れ回る。
本棚には恐竜図鑑。机の上にはセミのぬけがら。
そう、いつもボクの傍らには「異形のもの」がいた。
彼等に魅了された理由はひとえにデザインへの感心にちがいあるまい。
つまり構造美である。
多感な少年期、昆虫や恐竜の目を見張るような奇抜なフォルムは
機能性と象徴性の集合芸術であり、ボクをながらく夢中にさせた。
ここまではクラスに一人はいる無邪気で健全な男子だったであろう。
しかし、思春期を境にしてこれら「異形のもの」が性欲と結びついたとき、
これが「邪界」なる発想のよすがとなってしまったのである。

前述したとおり、怪獣や怪人に魅了されてやまなかったのは
彼等が強かったからでも怖かったからでもなかった。
形状の特異性が、生物として考えた場合に辿った進化の隘路を、
もしくは造形家の想像力と主張を、自分の中で積み木を組むようにして
また彼等も自分と同じ生き物であるという認識に立ったときだ。
それは驚嘆すべき気付きであった。
同じくして「女の子」に対する憧れが肥大化していくのだが、
そのファーストインパクト当時、女の子とどうしたいと考えていたのか
実は今にわからない。
というのも、男と女が結婚すると子どもができるという曖昧模糊とした
思い込みこそあれ、子どもの作り方も、いわんや異性の生殖器の形さえ
判然としなかった時期である。
それだのに、夜、消灯してからベッドへ横になったボクの中では、
勝手に作り上げられた顔のない少女を、後ろめたさを感じながらも
裸にむいて、ためつすがめつしていたのは記憶に鮮明なところ。
方法も知らず彼女を裸体としたことは、けだし本能の成せるわざであろう。
また純粋に、その少女の肉体が妄想の中で美化されていくことで、
近寄りがたい無垢な存在感を拡充していたった。
・・・ある夢の話・・・
この「聖なる少女」が「異形のもの」に蹂躙されはじめた。
ボクは傍観者である。
少女はあられもない声を上げ、嫌悪と快感とが内外でせめぎあい
恐怖していた。
罪悪感をいだきながらも激しく興奮した少年のボクは、
その夜はじめて精通をおぼえる。

【美化される少女と醜化される異種】
女の子の絵を描きはじめたのは高校を出てからで、
モンスターと性行為を行うような絵もおっつけすぐに描くようになった。
マザー・グースのうたに次のごときフレーズがある。
――おんなのこって なんで できてる?
  おんなのこって なんで できてる?
  おさとうと スパイスと すてきな なにもかも
  そんなもんで できてるよ――

どこか女の子というものをシンボリックに神格化したきらいはあるが、
たぶん、ボクは今でもこの詩の指し示す事柄を信じているに違いない。
この詩には続きがある。
逆に男の子はカエルやカタツムリでできていると言い出すのだ。
あくまで容姿に限り、ボクは少女に美しさをもとめ、
その美しさを際立たせるため彼女を醜い比較物の中に置いた。
少女はより白く・・・世界はより黒く・・・。
かくして一画面中に角逐する美醜一体の構図手法が確立したのである。

【異種姦の魅力は「絵」のインパクトより「物語性」にある】
もともと絵を描くことそれ自体が好きだったわけではなかった。
ボクは自分の中に物語を作ることが好きなのだ
何か伝えたいことがあっても、ズバリ言葉にすると
薄っぺらくなってしまう。

でもさりげなく物語の中で伝えようとしたら、それは残る。
これは体験も交えて得た自分なりの解答だが、問題はどのような媒体、
提供方法で物語をみせるべきかであった。
結論から言えば、文章の勉強をするより絵の勉強をしたほうが近道と
判断し、漫画を描く道を選んだ。
今から振り返ると、漫画もイラストも小説も雑食的に手を出している
有り様なのだけれど…。
そのようなボクが初の長編小説『ソリロキー』を書きはじめたのは
高校3年の大学進学をやめて鬱屈としていた時期のことである。
そもそもインターネットなんてボクのような旧世代的人間に
手が出せる代物のはずもないと考えていたおりだから、
この小説は完全に自分だけがみるためのものだった。
無印良品で購入した80円ノートはみるみる鉛色に埋まったいき、
半年ほどで完結まで書き切る。
その後すぐ読み返して僕の胸に去来するのは筆舌にしがたい不安感。
ここには度し難い、ボクの狂気の妄想が紡がれていたのだ。

【異種姦は「禁忌」であるからこそ踏み込みたい】
『ソリロキー』は今もボクのサイト邪界ニドヘグにて公開しているが、
あらましはこうである。
人間の細胞から作られたグロテスクな妖獣達によって支配されている
無人島アブソロム。繁殖制御のためオスしか存在しない異形の島に
たった一人幽閉された少女鳴沢 ほのか。
知性の欠片もない不気味な怪物達に島のいたるところでレイプされ
監禁され、飼育され、助けを待つほのかの自我は崩壊しそうになるが、
そんな苦痛の中、唯一この狂った世界の中で生きていく拠り所を見つける。
それは妖獣との交尾による快楽
人としての恥も尊厳も放棄して堕ちていく少女は、
やがて醜悪なケダモノたちの仔を身籠る。
生きる為に自分で産んだ仔を喰らい、
産んだ仔に犯され、それでまたデキた仔共に輪姦される。
ついには邪界に適応した少女は、四つ子五つ子と孕みつづけ、
駄児と奇形児とに囲まれながら島の女王となるのだ。

この物語の目的は「徹底的にタブーを犯す」ことであった。
人間的にも、また生物的にも、してはならない最悪を追求することだった。
今でこそ珍しくない妊婦に対する性暴力は、当時同系のサイトを
鵜の目鷹の目で探してもほとんどないく、これもフックになると思った。
この小説をネット上にアップしたとき、最初の2年くらい一ヶ月のヒット数は
平均20かそこらだ。ところがこの作品を読んだ方が掲示板に書き込みをして
くださり、読んで楽しんでくれた人が確かにいたのだという実感を持って、
サイトを引っ越し、正式公開のはこびとなったのである。
こんにちにいたって、ボクの邪界ニドヘグに沢山の方が来訪してくれている
のはまったく奇跡だと思っている。

【異種姦には、その漂う「悲しさ」が重要だ】
正式公開にともなってもう一つの看板コンテンツが欲しいと考えた。
それがweb漫画『イディオテック』である。
若く美しき姫イステハイネ、彼女の王国はある日、
邪界に追放された妹のカリエランテの魔力によって暗黒に落ちる。
カリエランテの姉に対する愛憎の念は異常極まり、
イステハイネを全裸にし、首輪で鎖につなぐと、
地下室に蠢く肥満した畸形獣との交尾を強要した。
映像面にとどまっていた美醜の比較は、心理的な側面をもたげてくる。
つまり、少女は容姿端麗なだけではなく、聡明で、心優しく、才能に溢れた、
富も権力も人望もとりつけている未来の明るい存在
対して男のほうは、おぞましい姿と犬猫にも劣る知性、誰からも愛されず、
なんで生きているのかも理解できず、暗闇を這いずり回って
空虚な絶望に泣いている
この作品を機にして一挙に「被害者だけの物語」が加速していく。
誰もが悲しく、苦しく、そこにあるのはただ肉欲と快楽、
そして歪な愛だけ。
以前からそうだったように、男の側に悪意があることはあまりない。
ただ彼等は本能に従って生殖行為を貪るのであって、
人間ならではの猟奇的な趣向も、打算や出来心も皆無。
人としての「旨み」がないのだ。
その視点で推察するに、ボクは「異種姦」をえがこうすしているのではなく、
異種姦」になってしまうのだと思う。

【作者の身代わりは「少女」か「異形」か】
ここまで書いてハタと気づくある一つの疑問。
はたしてボクの主体及び代弁者とは異形の側にあるのか少女の側にあるのか?
これらの物語の中でボク自身はどの視点に設置されているのかである。
ボクはボクのことを「高度に発達した文明社会の奇形児」と思っている節がある。
人と人とのコミニュケーションにおける不適合を何度も体験してきて、
会話や暗黙の了解、空気を読むといった人の汎用能力に自信がもてないことを、
ひょっとしたらあの醜悪な畸形獣達は、極端に表現された分身かもしれない。
そう考えると少女の存在は獲物ではなく、哀れな獣の救済者とも考えられる。
実際物語の中で支配権を有しているのは圧倒的に少女の側である物語が多い。
そう、一見少女ばかりが弱いように思えて、その実畸形獣こそ最も弱いのだ。
ここで逆説も立ち上がる。
獣に知性が欠乏している分、少女に思考を与えた。
少女達は単なる受け身ばかりの人形ではなく、何を畏れ何を感じたか、
そこをこそ追求するのが書き手としては楽しくてたまらない。
どうしたってボク自身が書いている以上、日頃あれこれ思慮するところが
作品に表出してしまうのは自明である。
するとやはり少女こそがボクの代弁者であるのか。
もしくは両方。つまりボクという獣はボクという少女に救われたいのか?
うん、ヘンタイの話になってきたぞ♪

【極論すれば「男」と「女」の交わりこそ、すでに異種姦なのだ】
小説のコーナーで未完のまま放置されている『虫夢』という話がある。
これはボクが一番「異種姦」という事象に言及した作品になりそうだ。
昆虫博物館の館長の娘である織月 姫子は蝶のような変身願望を持っている。
やがて彼女は巨大で奇怪なイモムシの姿をした怪物と関係を持つ。
彼女に語らせようとしている理屈は以下のようなものだ。
生命とは個別の生命体が自己完結的に語る価値観ではない。
生命の開闢以来、滞りなく連綿と継がれてきた進化の歴史そのもののことだ。
人間や犬猫や虫々に差異はなく、すべてはひとつの生命流に乗っている
・・・はずだった。
だが、人間はその界面から逸脱した。
テクノロジーの発展に依存し、生物としての未来を停滞させている。
靴がなくては歩くことができい足、服がなくては健康を保てない体、
天敵もなく飽和した人類にもはや生物としての未来はない。
バックアップの完備された先進国においての人口減少は必然なのだ。
人間が生命流に回帰し、正常な状態に戻る事で、地球は命を強くする。
進化とは何か?
それは適応能力である。
生きて子孫を残し生命の潮流を絶え間なく続けようとすることは、
生き物がすべからく与えられた意思の力。
だから貪欲なまでに生きて託すことを本能から課せられている。
人間の行き着く先が生物としての絶滅。非生物化に危惧した姫子は、
進化の劇薬「異種交配」に踏み切る。
なぜ性別などというものがあるのだろう。
それは進化という適応能力に多様性を持たせるためといわれる。
つまり、自分のコピーしか残せなければ一つの弱点で全滅する危険がある。
だから自分と違うものと交わって自分達と似て非なる子どもを作ることで、
子孫に毎回個性を与えることが可能となった。
極論すれば、オスとメスが交わること自体が「異種交配」なのである。
進化の王者は昆虫だとされている。
この地球上の生物の、実に70%が昆虫であり、初めて空を飛んだ存在。
一年前の殺虫剤がもう翌年効かないない話も、性による適応の結果だろう。
だから子孫に、より多様性を与えるため自分に近くない、遠い遺伝子を求める。
異性に対し自分にない部分を魅力と感じたり、
近親相姦による子どもが障害を持って産まれるケースを耳にするのも、
性のメカニズムから外れている行為といえるのではないか。

そこで上で言ったイモムシのオバケが登場するのである。

無論、この姫子の言説は正気の沙汰ではない妄言であるが、
異種姦によって子をもうけることの精神面と肉体面のリスク
しかも相手はおぞましく心の読めないモンスターだ。
極々にエロいではないか!
こうした理屈だって狂気を実行する背徳感こそがエロスの神髄かもしれない。

【結論、異種姦はエロい!】
エロスといえば、フロイトは生きようとする力をエロス、
死のうとする力をタナトスと命名した。
うん、きっと生きるってことがもうエロいんだ
今後も異種姦をテーマに邪悪な作品を産み落としていきたいですね。

最後に、このような機会を与えてくれたX-rated search様と、
ボクの妄想に最後までつきあってくださったみなさんに大感謝。
ありがとうございま~す。
今後も邪界ニドヘグをよろしくおねがいします♪

                        2007.12.10 時刀 純


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