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拘りの人の拘りを聞く「拘りの鉄」

第14回 「セルフボンテージ」玲 士方氏
さいはて
(2007年9月掲載)


拘りの鉄 ―― セルフボンテージ ――


      <小説のアトリエ ―私室―>
あなたの手をつかんだまま、彼女は部屋の中へ入っていく。
ここが彼女の私室なのだろう。アトリエとは打って変わった質素な趣で、ごく普通の女性の部屋だ。
逃げようにも握られた手はひりひりと熱を帯びている。
それ以上に、あなた自身も、だ。
彼女の話を聞いてみたいと思ったのは、あなた自身ではなかったか?
そんな葛藤を見透かすかのよう、彼女は途切れることなくあなたに向かって語りかけてくる‥‥

table-pen.gif

結局、私はただのオンライン作家に過ぎないから。
小説の形でしか、拘りも、思いの丈も、伝えられないし伝えるつもりもない。
なのに、貴女ときたら――
『ほらっ。これが実物。見たかったんじゃない?』
『いいよ触って。指を滑らせた感触も、じんと痺れる金属錠の冷たさも、黒い革の光沢も、
全部リアルでしょ。どんな気分?』
資料用のそれらを目にした貴女が声を失い、真っ赤な顔を伏せてから、じき1時間あまり。
南京錠のついた革の手枷。
首輪。
裸身をくびりだし、浅ましく火照らせる革ベルトの拘束衣。
一人暮らしのOLの部屋にはあるまじき、アブノーマルがゆえにたまらなくインモラルな
快楽をつむぐ、すべてが私のための拘束具。


セルフボンデージ――
あるいは、セルフボンテージ――


ひとりきりで自分自身を縛りあげ、みずからを被虐的なカラダに仕立て上げていく行為。
SとMの一人二役。
スリルと絶望のはざまでの危うい綱渡り。
今にも溺れそうな理性を保ち、不自由な体をよじって縄抜けをめざす、灼りついた焦り。
被虐に酔いしれつつ、自分をコントロールしきった時の達成感。
そして‥‥失敗したときの、目も眩むばかりの愉悦。
時にリアルな描写を求めるのに想像だけでは足りないこともある。
これは、だからこその資料。
筆が乗らないときはこうした器具を手に這わせ、びくりとわななく躯に訊ねかけるように
している。カラダで思い知った拘束の味を思いだし、いやらしい被虐への憧れを心の奥か
らよびさますために。
でも、私の拘りは、あくまで物書きとしてのもの。
貴女の思いどおりに、秘めた願いをかなえてあげるつもりなんかないの。
たしかに、ノコノコ私の部屋までついてきた貴女を組み伏せて、革ベルトを着せてあげる
のは簡単でしょう。
でも、それじゃ私の矜持が許さない。
‥‥ストーキングまがいの行為で人の家まで押しかけてきた貴女をやすやす許すとでも?
安心して。じっくりと馴らしてあげる。
貴女が、自分のその手で快楽を求めるようになるまで。

――さて。
私にとってこの上なくシンプルなこの悦びを、言の葉でどう説明したものでしょう。
長いこと憑かれて止まないこの愉悦を、一緒に分かち合ってもらいたいのだけど――ね。

pin_02.gif SMとしてのセルフボンテージ

家族の部屋で盗み見たSMの危うい写真集に目を奪われ‥‥
あるいは小さい頃のごっこ遊びから、縛られ、自由を奪われることに淡い快楽を覚え‥‥
無抵抗なカラダで「誰か」の言いなりになぶられ、支配されてしまう喜び‥‥
セルフボンテージの原点は「縄掛けされる」ことへの渇望だ。
受け身でされることへの憧憬。
でも、どれだけM願望が強くても、投稿系サイトの写真みたいに、二の腕から胸の上下に
縄が食いこむ綺麗な緊縛は一人ではできない。後戻り不可能な、自力で縄抜けできない形
での自縛なら可能は可能だけど、身の破滅につながるだけ。
ごく特殊な性癖だからこそ、人に知られるリスクを犯すのは怖いもの。
しかもパートナーを必要とする実際のSMプレイでは「ご主人様」との相性もむずかしい。
「マゾ=都合のいい女」のイメージで出会い系のSMサイトをのぞく人もいるし、相手と
自分の嗜好が一致しなければ、安心してカラダを預けられない。
インナーマスターという言葉がある。
M女の心のなかにある理想のプレイ、理想のご主人様のことだ。
それを突き崩し、現実の自分に染めていく。責め手の嗜好に奴隷を馴らしていく。それが
普通のSMのありようだ。ご主人様と奴隷はよりそっているようでも決定的に断絶があり、
その隙間と嗜好の差を少しづつ埋めていく。
信頼がベースにあるとしても、理不尽な行為を要求されたり、怖い思いをしたりもする。
どれだけ良い相手だって、憧れを形にした理想のご主人様にはなりえない。

――セルフボンテージは違う。

責め手は責め手のまま、受け手は受け手のまま、じゃない。
だってそうだろう。私を責めるのはこの私自身なのだ。これ以上の理想があるはずない。
そういう意味ではナルシスト的な部分もあるように思う。
セルフボンテージにのめりこむ瞬間、自分の中でS・M双方がドロドロに混じり、激しく
主導権を求めてせめぎあうのだ。
Sの愉悦に嗤うご主人様は、同時に被虐を待ちわびる奴隷そのもの。
自分の限界も、プレイの趣味嗜好も――どんなタイプの縄掛けが好みで、どんな風に自由
を奪われると下腹部をドロドロに疼かせ、どんなプレイで太ももまでオツユをしたたらせ
てしまうのか――誰よりも知り尽くしている。
一番感じるツボをなにもかも把握している。何が嫌で、何がイイか。すべて。すべてをだ。
それはすなわち、インナーマスターはわずかの緩みさえ許さないということ。
私を攻めたてるご主人様は、他の誰よりも苛烈で容赦ない。
恥ずかしいプレイの予感に肌を震わせ、一糸まとわぬ姿で乳房に汗を浮かべ、残酷な手枷
にそっと手を伸ばす。
待ちきれない被虐の思いが昂ぶれば昂ぶるほど‥‥
縛り上げられ、マゾの愉悦を夢見るプレイ開始の刹那、インナーマスターはこれ以上ない
ほど残酷に、無慈悲になり、さらなるスリルと陶酔を求めて、遊びの一切ないギリギリの
自縛を強要してくる。
結局のところ、セルフボンテージの本質は一人遊びだ。
ならば、際限なく自縛が厳しさを増していくのもあたりまえ。昨日と同じ感触では、同じ
拘束では、じきカラダが満足できなくなる。もっともっと、冷や汗のにじむような危うい
プレイを、綱渡りのようなギリギリの拘束を、味わいたくなる。
その葛藤がたまらない。
セーフティと悦楽の板ばさみが、爛れた心をぐずぐずに溶かしていく。

pin_03.gif スリルと快楽の二律背反

だから、私の書くセルフボンテージは破滅願望に近い。
たとえばそれは、目も眩む断崖絶壁から足下を見下ろす刹那にこみあげる衝動。
たとえば、いけないと知りつつ手が止まらない行為。
もともと性的なフェチズムがつねに秘められるべきものである以上、いやらしい欲望を
さらけだし後ろめたい行為にふけることは、それだけでどこか疚しく、背徳的なスリルが
にじみだす。
理性だけでは止めようもない。
普通じゃない行為、やっちゃいけない行為、恥ずかしくてはしたない行為。
浅ましく淫らなプレイに没頭するスリルというか。
日ごろ口にするもはばかられるような卑語を何度も言わされてよがり狂ったり。
誰もいない夜の公園で服を脱ぎ捨て、柔肌を羞恥に火照らせたり。
複数の男性にめちゃめちゃに汚されることを望んだり。
‥‥自分自身を後ろ手に固く施錠し、つきることのないマゾの愉悦に燃え上がったり。
すごく歪んでいて、倒錯しているに違いない。
だからこそ、どうしようもなく心が惹かれてしまうのだ。
普通じゃない「こんな恥ずかしいプレイで感じてしまう」自分が、物語の主人公たちが‥
‥愛おしくもあり、たまらなく虐めがいがある。
自由を奪われたまま、快楽にふける。
そんな単純なセルフボンテージにさえ、いくつものステージが存在する。
最初はただ手枷を手にまきつけるだけだったのに、やがて物足りなくなり、南京錠で手枷
のバックルを固定する拘束具をお話に登場させたり(現実にアダルトショップで売られて
いる)、あえて街の死角で露出めいた拘束にふけってみたりする。
もしカギを落としたら。
もし、手錠の向きを逆にして、鍵穴に指が届かなくなってしまったら。
つながれた電柱から抜け出すより先に、通りすがりの一般人に全裸を見られてしまったら。
重なり合う可能性が、さらに動悸を昂ぶらせる。
危険を知りつつ被虐的な旋律に身をまかせるスリルこそ、小説でしかなしえない、セルフ
ボンテージのその先の世界。
未知なる快感に瞳を潤ませ、もっともっととスリルを追求するマゾヒスティックな官能を、
どうやって理性で抑圧し、現実へ戻ってくるのか。まるで無茶な縛めから、無数の束縛か
ら、どうやって抜け出すのか。


――あるいは脱出不可能な拘束に嵌りこみ、取り返しのつかない絶望に身を焦がすのか。


小説だからこそ、そこに救いはいくらでも用意できる。
同時に「だからこそ」の物語世界では、本来、もっと手前でとどまっていたはずの衝動を
彼女らに仮託して思いきり晴らすことができる。読者がそろって無茶だと感じ、どれほど
見返りの快楽が大きくても決して行うことのできないセルフボンテージを、彼女らはやす
やすとやりとげて見せるのだ。
リスクを代償にスリルを求めて、女の性とあふれだす官能を存分に享受する。
彼女たちは一様に言う。
自分で自分の躯をいやらしく作り変えていく悦び。
もともと、恥ずべきことじゃない。だって、私はこんなにも求めて潤っているのだと。
どうして貴女はこの官能を味わおうとしないの、と。
ときに、モニターの前で彼女たちを紡ぎだす私自身でさえ、幻惑され翻弄されるほど。
実に魅力的で、悪魔のように誘いかけてくるのだ。

pin_07.gif 終わりに

――さて、どうかしら。
これだけ念入りにセルフボンテージの危険性(!)を聞かされて、貴女の心もはっきりと
したはずよね。
大丈夫。私だって、まあ、一度や二度は無茶をした‥‥かもしれない程度の話だから。
手枷や拘束具の構造を知らずに話が書けるわけもなく。
だから、貴女だって不器用な手つきながら、市販の拘束具ぐらいひとりで着つけることは
できるはず。肌に食いこんで、胸元をくびりだして、下腹部に埋もれていく革のひえびえ
した感触に、身を震わすことができるはず。
一番濡れそぼった部分にローターを押し込んだら、やることなんて、あとはひとつきり。
さあ。
後ろ手に手枷を嵌めて、施錠するの。
ええ、もちろん‥‥先にローターのスイッチをONにするのを忘れないように、ね。


怖い?
気持ちイイ?
‥‥恥ずかしくて、答えられない?


大丈夫よ。失くさないよう、手枷の鍵は、貴女の首輪に吊るしておいてあげる。


カチリ。
背中で鈍い音が響き、逃れられなくなったことを知ったあなたは呆然として首輪に目を落とす。
それを成し遂げたのが自分自身だと信じられぬまま。
扇情的なボンデージにくびられたあなた自身の胸の谷間、唯一の希望、手枷のカギが揺れている。
目の前にありながら、決して手の届かない位置に。
固く束ねられた両手首は背中でのたうち、無力にひくひく弾むばかり。
ごく平凡な室内に、突如として非日常的な拘束を施され、なすすべもなく放り出されて‥‥
ぶるりと全身をおののきが走り、あなたは、彼女の笑みに囚われたまま、ゆるやかに溶けていく‥‥


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pin_07.gif  あとがき

なんとなく、いつものアトリエの延長線上で書いてしまいましたが、初めまして。
「さいはての被虐の渚にまどろむ乙女―小説のアトリエ―」の司書、玲士方です。
なんでもこの企画はじめての小説サイトだと耳にしまして、すっかりノリノリで小説と
もエッセイともつかぬ何ものかを書き上げてしまいました。
良いんです。いつも通りだし。
当アトリエは女性一人称の小説ばかりですから。
ごく特殊なジャンルゆえ、おおっぴらに宣伝はいたしません。この記事が読者の琴線に
ふれることを願いつつ、ひっそりとネットのさいはてで皆様をお待ちしております。
ではでは。
良縁と機会にめぐまれましたら、次はアトリエまでお越しくださいますよう―

さいはて




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